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Lyn Webster Wilde, On the Trail of the Women Warriors ;The Amazons in Myth and History(St. Martin’s Press, New York, 2000, 240頁)
評者:阿部拓児(京都大学)



 本書は、いわゆる歴史学の書ではない。

 本書の著者、リン・ウェブスター・ワイルドの本業は映像作家、あるいはテレビ番組のプロデューサーである。彼女はBBCのコメディー番組、「反乱する女性(Revolting Women)」製作時に、マンチェスター郊外の湿地帯に住む女性だけの部族の取材を通して、アマゾン族(単数形はアマゾン、複数形はアマゾネス)に関心を抱いたという。彼女のアマゾン族に対する関心はやがて、果たしてアマゾン族は実在したのか否かを突き止めるという欲求へと発展した。そして彼女は、「自らのデスク、図書館、コンピューターの前から離れず」にアマゾン族を想像の産物とみなす現代のアカデミズムに反論すべく、アマゾン族が居住していたとされる地域を実際に訪れ、自らの目で確かめる旅へと出ることを決意した。本書は、このような著者ワイルドの素朴な疑問から生み出された旅行記である。

 古代ギリシア人の書き記した文学史料によれば、アマゾン族が居住していたとされる地域は、以下の四つに大別できる。@トルコのエーゲ海沿岸一帯、Aトルコのポントス山脈と黒海にはさまれた地域、Bカフカス山脈の北方、ウクライナ、モルドバやロシアのステップ地帯、C北アフリカのリビア、である。これらの地域を著者は、二つのキイ・ターム――「マトリ・ポテスタル(matri-potestal)」と「シャクティ(shakti)」――を軸にして取材する。「マトリ・ポテスタル」は一般に、「母権(制)の」と訳される。しかし著者は、大地母神が信仰の中心となっている社会を形容する語として、この語を用いている。一方、「シャクティ」とは本来、ヒンドゥー教における神妃、あるいは神妃によって具現化された力を意味する。しかし、著者はこの語を敷衍し、女神、巫女、女性の兵士によって表現された力を指す語として用いている。

 これらの地域において著者は、考古学者や女性ダンサーといった種種雑多な人々に取材し、アマゾン族実在の様々な可能性を模索していく。例えば、著者がかつてのスキュティア、すなわち現在のウクライナとモルドバを訪れたときの模様を紹介しよう。

 ヘロドトスによれば、スキュティアにはアマゾン族の子孫にあたるサウロマタイ人が居住していたという(IV,110-117)。著者はここで、甲冑や武器とともに埋葬された女性の人骨を発掘した三人の女性考古学者に取材することを試みた(三人のうちの一人には、実際に会うことはできず、手紙と電話による取材となる)。これらの取材によれば、スキュティアから発掘された甲冑や武器といった副葬品をともなった人骨の約四分の一は、女性のものであったという。しかし、それらの女性がかつて騎馬に乗っていたことを連想させるような副葬品、すなわち馬骨や馬具とともに埋葬されていることはないという。これは、馬上から勇敢に戦うアマゾン族というイメージには合致しない。これらの取材を通し著者は、ジェンダーによる役割が厳格に定められていたギリシア社会と異なり、遊牧民であったスキュタイ人(スキュティアの住民)やサウロマタイ人の社会は性差の境界線が曖昧で、必要とあらば女性も戦場に出た、しかし彼女たちはあくまで二級の兵士に留まっていたのではないかと予測する。

 これらの取材を繰り返した後、著者は一つの結論へと達する。すなわち、かつてのアマゾン族を想起させるような断片的証拠を見出すことはできるのであるが、ヘロドトスやディオドルス・シクルスが書き残したようなアマゾン族と正確に一致するような女性のみの部族の存在を確認することは困難である。アマゾン族の神話を構成する要素は様々な時代、場所に散在していた。もしこれらの断片的な要素を集め、一つのストーリーに描き直すとするならば、それこそがアマゾン族の神話となるのである。

 かくして著者の素朴な疑問は、アマゾン族の実在を確認するには至らなかったのである。しかし、好奇心に突き動かされるままに各地を訪ね歩くという著者のヴァイタリティーは、日頃、アームチェアと薄暗い研究室を好む歴史学者にとって、自らの研究スタイルを省みさせるには、十分に刺激的であろう。




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