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「クレオパトラの鼻」と賢帝ティベリウス
−現代との対話、就職活動と古代ローマ史研究−

広瀬 直(京都大学)


 今年の1月から4月にかけて就職活動をした。2年前、私はある企業の内定を辞退してまで歴史と向き合う道を択んだ。その私が再び就職活動に至った経緯についても語らねばならないが、それはまた別の機会を待ちたい。今回の就職活動からは、非常に多くのこと―社会、自分自身―を学ぶことができた。ここでは、私が各企業の面接を経験していく中で遭遇した場面をもとに、企業人(面接官)が抱く古代ローマ像を垣間見ることにしよう。私、古代ローマ、就職活動、それらを通じて見えてきたものとは一体何であったのか。

 企業人が「古代ローマ」と聞いて連想するものは何であろうか。私が面接を重ねる中でとりわけよく質問されたことが2点ある。もちろん面接官も質問というよりは冗談半分で聞いている。明確な解答を求めているのではなく、学生のとっさの反応が見たいのだ。

「クレオパトラの鼻が高かったら世界の歴史は本当に変わったと思いますか。」
「皇帝ティベリウス(の政策)についてどう考えていますか。」

 古代史研究者からすれば前者はともかく後者については非常に疑問に思われるだろう。面接官の中にはパスカルや芥川龍之介を読んで「クレオパトラの鼻」について関心を持った方もいたのかもしれない[1]。また、タキトゥスやスエトニウス、研究者や小説家の著作を読んでティベリウスに関心を持った方もいるのかもしれない。しかし、こういった質問がなされる背景には明確な理由がある。日本経済新聞、その1面に「春秋」というコラムが掲載されている。ここにクレオパトラとティベリウスが登場したわけである。ティベリウスのケースは非常に興味深いのでまずこちらを取り上げることにしよう。

 2月はうるう年でないなら「大の月」より3日も少ないわけだが、これはなぜなのか。ユリウス・カエサルによる太陽暦の採用、それに続いて初代皇帝アウグストゥスがその名を8月に押し込み、本来「小の月」であった8月を「大の月」にしたことで、2月はそのしわ寄せを受けることになった。以下はそれに続く説明の引用である。

二月の危機は続く。次の皇帝ティベリウスに周囲のごますりが「陛下の名も月名に」と持ちかけたのだ。「皇帝が十三人になったらどうする」と彼は言下に却下した。この歯止めがなければ二月はさらに短くなった可能性がある。人事の季節。お手盛りを拒絶したティベリウスの自制心は、トップの鑑(かがみ)かもしれない。(日本経済新聞 平成16年2月23日朝刊の「春秋」より引用)

 ティベリウスに対する研究者の評価はもちろん一様ではない。私はというと思わず笑みをこぼしてしまった。
「母(リウィア)が嫌でカプリに隠遁した飲兵衛ティベリウス…[2]
 私が読んでいる新聞が日本経済新聞でなければ、この質問に出くわす度にひどく困惑したことだろう。カエサルやアウグストゥスを差し置いて、なぜティベリウスなのかと。私は運よくこの困惑からは免れることができたが、そのために別の不安を抱くようになった。古代ローマの文句・エピソードが「春秋」に載ることで何が起きるのか。あるいは企業人が愛読するビジネス雑誌に載ればどうなるのか。先月(6月14日号)の『日経ビジネス』では、米デルのケビン・ロリンズ(現CEO)がその企業理念を考案するに際し古代ローマの哲学者キケロに多くを学んだと語っている。今面接を受ければ、キケロについて質問されるのだろう。人々の古代ローマ像は、我々の知らないところで今も築かれている。

 面接と言っても面接官から一方的に質問されるだけではない。時には自分の研究について説明することを要求される。しかし、私が話す内容は当然「時間」、「場」、「人」によって制限される[3]。そのような状況下で、私が自らの専門分野である「ユリウス・クラウディウス朝の皇帝家女性」について話せばどうなるか。先述した「クレオパトラの鼻」に関する質問はほとんどが皇帝家女性について話した後であった。「春秋」における言及のせいでもあるのだが、皇帝家女性の話を聞いて面接官が最もイメージしやすいものは「クレオパトラ」であるようだ。

「今も昔も女性は強かったんですね。[4]

面接官の反応はほぼ一様だ。おそらく面接官のローマ世界は「クレオパトラにあふれて」しまった。こうなっては、古代ギリシア・ローマ史の泰斗フィンリーがその論稿の冒頭に書いた一節が思い出されるばかりである。

ローマの歴史において最も有名な女性はローマ人ですらない、それはエジプト女王クレオパトラである[5]

私と古代ローマと就職活動。それらを通じて見えてきたものとは一体何であったのか。クレオパトラの鼻、賢帝ティベリウスは何を物語っているのか。一見するとそれは「移ろいやすい古代ローマ像」かもしれないし、研究者と一般の人々との間にそびえたつ「城塞 Limes」なのかもしれない。だが、私がまさに体験したのは歴史を「語る」ことの醍醐味に他ならない。そして、現代との連関、その大きな命題の前に我々がまず始めなければならないことは、我々が大切にする歴史を「語る」ことではないだろうか。家族、友人、そしてこれから出会う人々へ。



[1] 芥川龍之介については『侏儒の言葉』の序を参照。芥川では「曲がっていたとすれば」になっている。

[2] リウィアとティベリウスについてはスエトニウス『ローマ皇帝列伝』ティベリウス51章。ティベリウスの酒好きについては同42章、以下の引用は国原訳。

ティベリウスは陣営の新参者であったころにも、酒に極めて貪欲で、ティベリウスの代りに「ビベリウス(呑助)」、クラウディウスの代りに「カリディウス(熱燗)」、ネロの代りに「メロ(生酒)」と呼ばれていた。

[3] もし1分(時間)与えられたとして、歴史に関して素人である面接官(人)に自分の研究をできるだけ関心を持って聞いてもらうため(場)にはどうするだろう。

[4] 30回を超える面接の中で女性の面接官に出会ったのはわずかに一回だけであった。

[5] Finley, M.I., The Silent Women of Ancient Rome, Horizon7, 1965, pp.57-64.




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