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《書評》
Maria Brosius, Women in Ancient Persia (559-331 BC), (Oxford Classical Monographs, Oxford University Press, Oxford, 1996, rpt. 2002, xx+258頁)

評者:阿部拓児(京都大学)



 本書は、著者マリア・ブロシウスがオクスフォードに提出した博士論文を、著者の指導教官である碩学デイヴィット・M・ルイスのアドヴァイスをもとにして改訂、出版したものである(献辞は故デイヴィット・M・ルイスに捧げられている)。本書における著者の目的は、アカイメネス朝の宮廷における王室女性 royal women (評者註著者は実際には、王室女性のみではなく、広く貴族女性を考察の対象としているので、正しくはエリート女性とすべきであろう)に対する、ギリシア人の態度を明らかにすること。それと同時に、ペルセポリス城塞文書 Persepolis Fortification Tablets や新バビロニアなどのテクストの分析を通し、ペルシアの視点からエリートおよび非エリート女性の占める位置を明らかにすることである。すなわち著者は、オリエントのしかも女性という、重層的な言説の作用によって多重に表象=代表されてきた人々を考察の対象とする。あるいは、古代史におけるサバルタン・スタディーズともいえるテーマに挑むのである。

  本書は、序章と終章を含めた全六章から構成されている。以下、本書の構成に即し、概要を紹介しよう。

 アイスキュロスの『ペルシア人』におけるクセルクセスの母、アトッサ(ただし劇中では、アトッサの名には言及されていない)や、クセノフォンの『アナバシス』における小キュロスとアルタクセルクセス2世の母、パリュサティスなど、ギリシア文学の中には幾人かのペルシア大王母が登場する。第二章、「王室女性の称号 Titles for Royal Women 」では、ギリシア語史料と新バビロニア語やエラム語のテクストを突き合わせることにより、これら王母と王妃、王女や側室間におけるステータスの相違を明らかにする。史料からは、極めて高いステータスを有している王室女性として、ペルシア大王に近い存在である王母と王妃が挙げられるという。また側室は、社会的地位の高い非ペルシア人女性から選ばれており、ここからペルシア大王と王妃あるいは側室との婚姻の意味が大きく変わってくるとする。

 王室女性の間にみられるステータスの相違を確認したうえで、著者は次なる考察対象を、ペルシア大王を取り巻く婚姻関係へと向ける。第三章、「王室の婚姻同盟 Royal Marriage Alliances 」では、「婚姻=同盟」とみなし、@第一期=ダレイオス1世以前のペルシア大王時代(キュロス1世、カンビュセス1世、キュロス2世、カンビュセス2世)、A第二期=ダレイオス1世時代、B第三期=ダレイオス1世以後のペルシア大王時代、の三期を設けたうえで、ペルシア大王による「婚姻=同盟」がいかに変化したのかということが考察されている。

 第一期においてペルシア大王は、一方で非ペルシア人の王の娘と、他方でペルシア人貴族の娘と「婚姻=同盟」を結ぶことにより、自らの帝国を安定させることに努めた。しかし、王位に対する正当性を有していなかったダレイオスにとって、「婚姻=同盟」とは自らの王位を正当化し、安定させることを意味した。このためダレイオスは、一方でアトッサ(キュロス2世の娘)、アルテュストネ(アトッサの姉妹)、パルミュス(スメルディスの娘)など先王の娘たちと、他方でオタネス、ゴブリュアスらペルシア有力貴族の娘たちとの「婚姻=同盟」を結ぶ。著者はこの時期、アンシャン家の王であったキュロス2世、カンビュセス2世らが、アカイメネス家に取り込まれていくという、ダレイオス出身家系の意図的な作成が行なわれていたと指摘する。ダレイオス以後、ペルシア大王はすでに自らの王位の正当性を主張する必要がなくなり、「婚姻=同盟」はペルシア貴族間に限定されていくこととなる。

 では、アカイメネス朝の宮廷において、このような女性たちはいかに振舞っていたのであろうか。それが第四章、「王室女性とアカイメネス朝宮廷 Royal Women and the Achaemenid Court 」のテーマである。本章では、彼女たちの日常生活を浮かび上がらせている。これらの章において、著者は、男性に抑圧された存在というオリエントの女性一般に付されたイメージ、残虐で国事に介入するというギリシア人によって付されたペルシア女性のイメージの双方を払拭する。ペルシア王室女性は、決して社会から完全に隔離された存在ではなかった。ペルシア女性は美術作品にも登場するし、長期の遠征の際には従軍し、宴会にも参加する。崩御の際には、公的な服喪期間も設けられていた。また著者は、ナクシェ・ロスタムの葬廟にはペルシア大王とともに王妃も埋葬された可能性を指摘する。しかしその一方で、王室女性の活動は自らのステータス、すなわち彼女たちを取り巻く男性のステータスに依拠していた。また政治や軍事、あるいは王位決定など、帝国を左右する大事については、女性が直接的な役割を演じる機会は与えられていなかった。この意味では、王室女性の活動はあくまで男性によって限定されていたのである。

 王室女性の活動のうち特に経済的側面が、第五章、「女性とアカイメネス朝ペルシア経済 Women and the Economy of Achaemenid Persia 」において論じられている。本章において著者は、前章までの考察手法を一変させる。すなわち、第一にギリシア文字史料を考察対象としてきた前章までの手法とは異なり、本章ではペルセポリス城塞文書の考察に焦点を当てる。

 ここで、ペルセポリス城塞文書について簡略に述べておこう。1933−1934年、シカゴ大学オリエント研究所による第一次ペルセポリス発掘調査の折、城塞跡より大量のエラム語文書が出土した。これらの文書には、ダレイオス1世治世13年目から28年目(前509−494年)までの職業別の食糧割当量が記されていた。出土した30,000枚もの文書のうち保存状態のよい約2,000枚は、後に『ペルセポリス城塞文書 R.T.Hallock(ed.), Persepolis Fortification Tablets, Chicago, 1969 』として編纂、公刊される。著者はこれら公刊、未公刊文書史料から読み取れる情報を、新バビロニアのテクストやギリシア文字史料と突き合わせることによって敷衍するという手法を用いている。

 本章における考察から、ペルシア王室女性が経済的にある程度、自立していたことを明らかにする。すなわち、彼女たちは個人的に印章を用いたり、役人に対しては書簡による指示を出すことが可能であった。またヘロドトスやクセノフォンの著作に見られるように、王室女性は広大な所領を有していた。さらに彼女たちはこれら所領のみならず、ときには労働者集団も所有していた。この労働者集団について特筆すべきは、彼らの間における食糧割当量は能力によって決定されていたこと、また専門職になると割当量における男女間格差がみられなくなったということであろう。

 これらの章を経た後、著者は改めて、ギリシア人著作家が抱き、そして少なからず近現代の研究者も共有していた、政治的影響力を持っていたペルシア女性、そして帝国を腐敗させたペルシア女性というイメージを斥けるよう主張する。何よりも著者は、ペルシア女性を画一的にステレオタイプ化することに異を立て、彼女たちの中における多様性に目を向けるように主張している。

 以上、概略ではあるが、本書の内容を紹介してきた。ここで、若干の論評を試みたい。本書の特色は、ギリシア人(あるいは近現代の研究者)が抱くペルシア女性像の虚構性を鋭く攻撃するというオリエンタリズム批判的な視点を、エラム語、ギリシア語、新バビロニア語などの史料を可能な限り利用し洗い直すという実証レヴェルの高さが支持しているという点が挙げられるであろう。すなわち著者は、史料を徹底的に批判することによってオリエントのしかも女性という重層的な言説作用は剥がれ落ち、ペルシア女性の歴史的主体性が浮かび上がることを確信している(少なくとも評者にはそう思われる)のだ。

 しかし、サバルタン・スタディーズの旗手スピヴァックの「サバルタンは語ることができない。グローバル・ランドリー・リスト[世界各地の国際空港のホテルなどにおいてある洗濯可能品目を長々と列記した表]に恭しく「女性」という項目を記載してみたところで、こんなものには何の値打ちもない。表象=代表 representation の作用はいまだ衰えてはいない」(G.C.スピヴァック、上村忠男訳『サバルタンは語ることができるのか』みすず書房、1998年、116頁)という言葉を思い出すとき、評者には著者の態度があまりにオプティミスティックにすぎるように思われる。




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