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デモクラシーを論じることについて −リビアを訪れて感じたこと−

篠原 道法(立命館大学)

はじめに
 2006年の夏に、リビアを訪れる機会を得た。リビアの領土(図1)はEU諸国の半分程もあり、非常に広大であるが、その93%をサハラ砂漠が占めている。そのため、70%を超える人口(一説では90%)が、地中海沿岸の都市部に集中している。
 リビア第1の都市は、首都トリポリである。トリポリの周辺(図2)には、レプティス・マグナ、サブラタといったローマ時代の遺跡が残っている。とりわけ、サブラタの劇場(図3)は保存状態がよい。ステージの背後には3段、計108本のコリントス式の柱が残っており、その高さは20 mである。劇場の正面(図4)に向かうと、ステージの下に、演劇に関連する様々な彫刻(例えば、演劇で使用するマスク:図5)が見られる。
 トリポリに次ぐリビア第2都市は、ベンガジである。ベンガジ周辺(図6)には、ギリシアのsettlementとして設立されたトルメイタやキュレネなどの遺跡が残っている。特にキュレネにあるキリスト教徒、ヘシュキオスの家のモザイク画(図7)には一見の価値がある。家族の安寧を願った祈願文の両端を2体の天使が囲む図像(図8)は非常に美しい。
 このように遺跡に訪れる価値があることは間違いないが、今回リビアを訪れて、遺跡以上に印象に残ったことは、リビアが、政治体制の上ではダイレクト・デモクラシーを取っていると謳っていることであった。本稿では、リビアの政治体制およびその実態を紹介する中で、デモクラシーはいかなる視角からアプローチされるべきかについて考えを巡らしたい。

1、リビアの政治体制とその実態
 リビアの正式名称は、大リビア・アラブ社会主義人民ジャマヒリヤ国である。ジャマヒリヤとは、「大衆による共同体制」を意味している。そしてその理念は、カダフィ著『グリーン・ブック』(リビア関連サイトより入手可能)に具体的に語られている。彼の主張を端的にまとめると、 欧米型の議会制デモクラシーは選挙によって選ばれた少数者(よって、全人民ではなく、その内のごく少数から承認を得たにすぎない存在)の統治に過ぎず、真のデモクラシーは人民が直接的に政治に参加をする形態、つまりダイレクト・デモクラシーによってのみ実現される、ということになる。
 彼は、『グリーン・ブック』において、その理念を実現させる政治システムについて具体的に提示して見せている。リビアでは彼の『グリーン・ブック』の記述を基礎として政治体制が構築されているが、その構造を簡単に説明するならば以下の通りである。まず、リビアは34のシャアビヤ(州・県に相当)と468のマッハラ(市町村に相当)に分けられている。そして各地域には、基礎人民会議(18歳以上の全成人が参加する)と人民委員会(行政組織−職業別に分化している−)が設置されている。地方行政はこれを核として行われており、人民委員会は基礎人民会議に対して説明責任を有する。またこれとは別に、中央行政を掌る全国人民会議がある。全国人民会議は地方から選出された委員(正式な人数は不明)が集まる議会であり、ここで国の重要事項が決定される。リビアには内閣は存在せず、その代わりに、全国人民委員会が内閣の役割を、そして、その書記が首相の役割を果たしている。ちなみに、カダフィ自身は、全国人民会議に属しておらず、一民間人の立場にあり、政治システム上、特別な権利を有する存在ではない。
 上記の政治体制のあり方だけを見るならば、全人民の政治参加を可能とするシステムが整っているという点において、リビアではダイレクト・デモクラシーが実現されているようにも見える。しかしながら実態としては、我々がよく耳にするように、リビアは指導者であるカダフィを国家元首に据えた国家である。例えば、議会では討議内容が予め決められており、最終的にはカダフィに助言を請う形を取っている。この要請を受けて行われる、助言と称される彼の演説が、事実上、国の方針を定めることとなっている。
 その一方で、リビアでは制度上言論の自由が認められているが、実際には、その自由度はかなり低い。主要新聞社やテレビ放送局は事実上国の管理下に置かれており、その報道内容は画一的である。個人の政治活動に関しても状況は同じであり、政府批判と取れる言動をすると、政治収容所に送り込まれると言われている。また、デモ活動は、認められていて実際に行われているが、その批判対象が欧米やイスラエルであるため、中東関連の対外的なものに留まっている。
 これらの現実を考慮に入れるならば、実質的には人民の政治行動が抑圧されているという点で、リビアにおいてデモクラシーが実現されているとみなすことはできないだろう。

2、デモクラシーへの2つのアプローチ
 以上、リビアのデモクラシーを巡る状況を述べてきたが、このことから、デモクラシーには大きく分けて2つ重要なアプローチがあることに気付かされる。
 1つ目は、理念・プロパガンダとしての側面から、デモクラシーにアプローチすることである。リビアの場合、各教育機関(初等学校から大学まで−ちなみに、公教育は全て無料−)のシステムにおいて、『グリーン・ブック』が必修科目として組み込まれており、これによって人民教化の仕組みが整えられている。しかしながら、このシステムは、人民にデモクラシーを徹底させるというよりはむしろ、これを記したカダフィを偉大なる指導者として認識させる機能を果たしているのであろう。デモクラシーが実現されているとは言えない諸国家の指導者が、自らの体制を正当化するために、リビアと同様、デモクラシーを国家の理念として掲げている例は枚挙に暇がない。
 一方で、アメリカが自らの対外的な行為を正当化するためにデモクラシーと自由を語っていることも、デモクラシーの理念・プロパガンダの側面について考える際に、容易に思い浮かぶ例である。また古代アテナイの場合には、トゥキュディデスの描くペリクレスの、デモクラシーについて演説する姿が思い浮かぶ。
 このように、その理念が、どのようなコンテクストで語られ、そしてどんな現実をもたらしたのか、という視角からデモクラシーにアプローチすることは、非常に重要である。
 2つ目は、当事者の認識のあり方から、デモクラシーにアプローチすることである。先に述べたように、リビアは、制度の建前はデモクラシーであるが、実際には人民の政治行動が抑圧されているため、デモクラシーが実現されているとは言えない状況にある。ある国家においてデモクラシーが実現されているかどうかを判断するためには、実際にデモクラシーが機能しているのか、また、当事者である人民がどのようにそれを捉えているのかを考察する必要があろう。
 このことは、古代アテナイにおけるデモクラシー成立の議論についても言えることである。従来、制度の有り様から古代アテナイにおけるデモクラシーの成立が論じられることが多かった。ソロンの改革、クレイステネスの改革、ペリクレス・エフィアルテスらによる一連改革といったように、アテナイにおいて様々な国制改革が行われており、その内、いつの時点をデモクラシー成立の画期とするかについて、研究者の見解は様々である。一方で、その体制を民衆がどのように認識していたのか、或いは、それに基づいてどのように自らを規定したのかについては、必ずしも十分には論じられてこなかった。デモクラシーの語源である「デモクラティア」がそもそも「民衆が力を持つ、または、支配する状態」を意味していることを考えれば、デモクラシー成立を論じる上で、この問題を考察することは不可欠であろう。たとえ我々の眼から見て政治体制が民主的であっても、当時の人々が同じように認識していたとは、必ずしも言えない。古代アテナイにおけるデモクラシーの成立を論じる際には、この「民衆の認識」という側面からのアプローチが必要ではないだろうか。つまり、いつ民衆は自らを「力ある、または、支配する存在」とみなしたのかを明らかにした上で、それがどういった社会状況と関連しているのかを考察して、デモクラシーの成立を論じる必要があろう。

おわりに
 以上が、リビアにおける政治体制を考えることから思い至ったデモクラシーに対する2つのアプローチである。政治体制・制度の問題としてではなく、文化や認識の問題としてデモクラシーを扱うことによって、その有り様についてのより深い考察をすることが可能となるのではないだろうか。


図1:リビア全域



図2:トリポリ周辺



図3:サブラタの劇場



図4:劇場正面



図5:ステージ下の彫刻



図6:ベンガジ周辺



図7:キリスト教徒の家のモザイク画(全景)



図8:キリスト教徒の家のモザイク画(一部)
執筆者の影が映っているのは、ご愛嬌。




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