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○古代史研究会第5回春季研究集会


指導者層の対立に見るローマ帝政初期のスパルタ社会

   ――エウリュクレス一族とブラシダスの子孫たち――

伊藤嘉純(名古屋大学)

 アウグストゥス治世下のスパルタについては、史料を通じて、一時的な国制の停滞状態に陥っていたことが知られる。その最たる要因とされてきたのが、アクティウムの海戦後に急速に台頭した皇帝の友人、ガイウス・ユリウス・エウリュクレスの存在である。彼については、同時代の著述家ストラボンから、スパルタで事実上の支配者の地位にあっただけでなく、後年はその特権的地位を濫用し、スパルタを含む周辺各地で騒動を引き起こしたことが伝えられている。こうした記述を踏まえ、先行研究は当時のスパルタがエウリュクレスの専制的な支配のもとに置かれていたと想定してきた。
 しかしその一方、碑文史料上ではエウリュクレスの政治的地位や権力の性格は曖昧であり、彼の名を冠したコインを除くと、政治的停滞をもたらすような専制的支配を示す直接的な証拠は残っていない。またプルタルコスは、エウリュクレスの失脚の背景に、かつての王族ブラシダスの子孫など、一部の敵対的なスパルタの指導者層が関与していたことを示唆している。こうした背景からも、スパルタで彼を取り巻く事情はより複雑なものであったと考えられる。それゆえ、彼の実際の立場については、そのスパルタ内外への権力行使の側面からだけでなく、周囲の指導者層との関係からも捉え直す必要があるだろう。
 そこで本報告では、エウリュクレスの台頭から失脚までの経緯を踏まえつつ、彼の専制的な地位と権力行使の根拠とされる史料の見直しを行うとともに、周囲の指導者層との関わりの中で、彼がスパルタでいかなる立場にあったのかを再検討する。そこから、エウリュクレスの台頭と彼の存在が、帝政初期のスパルタ社会とその指導者層にどのような影響を与えたのかを明らかにすることが、本報告での最終的な目標である。


ローマ帝国時代北アフリカにおける文化と女性

井福 剛(同志社大学)

 本報告ではローマ帝国時代北アフリカにおいて、女性たちが文化形成において果たした役割に注目し、考察する。古代ローマの女性史研究者であるEmily Hemelrijkの分析によれば、女性神官について記した碑文の数は、ローマ帝国内で北アフリカが最多である。また、北アフリカにおけるエリート女性たちの恩恵施与行為に関する碑文は、イタリアに次いで多いことを指摘している。こうしたことから、ローマ帝国内でも、北アフリカは、女性が都市の発展やその文化に与えた影響が比較的大きい地域だったと想定できる。
 報告者は博士論文において、北アフリカにおける都市文化について、特にトゥッガの事例を中心に考察した。その際、女性が文化形成において果たした役割については触れることが出来なかった。もちろん、恩恵施与に関する史料は男性のものが圧倒的に多いのは確かであるが、北アフリカの都市文化についてその特徴を捉えるためには、女性の果たした役割についても焦点を当てる必要があるだろう。

 また、
Hemelrijkが示したような北アフリカにおける女性の存在感の大きさは、トゥッガにおいても見られるものである。この都市において、少なくとも14名の女性が彼女自身の恩恵施与行為によって、あるいは彼女の名誉が讃えられることによって、碑文に名を残しており、この内7名は都市のために費やした資金の具体的な額が判明している。たとえば、3世紀初頭のアシキア・ウィクトリアなる女性は、自らの都市に対して100,000セステルティウスもの莫大な資金を提供している。こうしたことから、トゥッガにおいても、男性よりも事例は少ないものの、女性が自らの都市の中で一定の存在感を示していたことが分かる。



                 (所属などは発表時のものです。)



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