Top    Topic    Activity   Member    Essay    Link    




○古代史研究会第19回大会

古代ローマの饗宴空間の機能に関する一考察
——ピアッツァ・アルメリーナのヴィッラの二つの饗宴空間について

坂田道生(千葉商科大学非常勤講師)

    古代ローマのヴィッラは周囲に広がる農園の中心的な存在であるだけでなく、気晴らしのための隠れ家であり、ゆったりとした学びの場であり、客人をもてなす場でもあったが、そのためには念入りに計画して建設されねばならなかった。中でも、客人をもてなす空間の建設が特に重視されていたことは、キケロ以来古代ローマ文学にヴィッラでの饗宴に関する記述がしばしば見られることからも明らかであるとされる。
    ピアッツァ・アルメリーナのヴィッラには饗宴空間が二つ(τρίκογχοςおよび triclinium)あるだけでなく、τρίκογχοςは別荘で二番目に大きな部屋であることからも、饗宴がいかに重要とされていたかが分かる。古代ローマのヴィッラは帝国中に建設されたが、このように複数の饗宴空間を持つ別荘は、私の知る限り、他にティヴォリのヴィッラ・アドリアーナだけである。つまり、本来は饗宴をする目的で作られたわけではないバシリカなどの広い空間や屋外でも饗宴が行われた可能性はあるものの、饗宴のための空間がヴィッラ内部に複数見られるのは珍しい事例と言えるであろう。
    ここにはなぜ二つのそのような部屋が作られたのか、両者の間に役割や特徴の違いはあるのだろうか。これまで、それぞれの部屋の舗床モザイクに関しては詳細な研究がなされてきた一方、両者の相違に着目した検討はなされていない。本報告ではまず、ピアッツァ・アルメリーナのヴィッラのτρίκογχοςを主な考察の対象とし、先行研究について確認した後、舗床モザイクの意味と空間の役割について検討する。つまり、そこで饗宴がどのように催されたのか、ギリシア神話図像が表された舗床モザイクは古代ローマ人にとってどのような意味があったのかについて考える。次に、以前拙稿で取り上げたtricliniumと比較し、それぞれの饗宴空間の役割について検討する。こうして、空間の性格を明らかにし、最後に二つの部屋がどのように使い分けられたのかについてもふれたい。



元首政期ギリシア・小アジア諸都市における土地境界線をめぐる問題とローマ帝国の関与

西又悠(神戸大学大学院博士後期課程)

    ローマ帝国下の諸地域において、土地の境界線や所有関係をめぐる共同体間の係争が頻繁に発生していた。こうした係争は、主として帝国各地から出土する土地境界線を定めた碑文などから、その存在を知ることができる。
    このような土地をめぐる係争は、これまでにも少なからず研究者たちの関心を集めてきた。従来の研究では、まず史料の収集と整理が進められ、これにより現時点では帝国内の様々な地域で、時期を限定せずに、土地をめぐる係争は発生していたことが明らかになっている。また係争を解決する際にローマ側が用いた技術的なプロセス(事情聴取、実地調査、測量)についての全体的な見取り図も提示されてきた。しかしながら、報告者の見る限り、従来の包括的な研究に比して、個々の具体的な事例についての研究は十分に進展していないように思われる。より具体的には、いかなる性質の土地をめぐる係争であったのか、いつ頃生じた問題なのか、係争に関わるアクターはどのような人々であったのかと言った条件の違いに留意した上で、問題の解決プロセスを探ることが必要であろう。
    そこで本報告では、2世紀初頭のデルフォイの事例に注目する。この時期のデルフォイは、デルフォイ市の領域だけでなく、アポロン神殿に属する神殿領をめぐっても周辺の共同体と争っていた。従って上述のように係争地の違いが、解決プロセスや関与するアクターに影響を与えたのか否かを探る上で好適な事例であると考えられる。デルフォイの抱えていた問題を解決すべく、トラヤヌス帝によって派遣された皇帝代理人ニグリヌスの裁定を記した碑文を手がかりに、元首政期の土地境界線をめぐる係争の具体像を考察してみる。



『親密さ』の虚像——イサイオス第 1 番の事例から

齋藤貴弘(愛媛大学准教授)

    法廷弁論においては、しばしば訴因と直接関係ないようなトピックが言及されることがある。例えば、相続弁論では、相続権の正当性といった法的枠組みを越えて、被相続人である故人と相続申請者との祭祀活動の共有が言及されたりする。こうした話題については、従来、訴因から外れたirrelevant話題であり、陪審員のsympathyに訴えて説得するレトリックと理解されてきた。近年では、emotion との認識を踏まえつつも、単なる同情論からアテナイ法体系そのものを如何に理解するかという議論と交錯しながら論じられてきている。
    報告者は現在、科研プロジェクト(佐藤 昇代表)において、弁者の置かれた立場―それが要請するキャラクター―との関係を視野に入れ、相続弁論における宗教的トピックのレトリック分析に携わっている。この問題関心から、特に、弁者と被相続人との祭祀共有トピックに着目した際に、顕著な傾向を示すのが、イサイオス8番と9番である。両弁論は、弁者が母方繋がりという相続法において劣位にあり、ディアディカシアという形式で争っているという共通点を持つ。他方で、同様の立場でありながら弁論内容としては対照的な性格を示すのがイサイオス1番である。
    イサイオス1番が具体的な内容に乏しいことは夙に指摘されているところであるが、本報告では上記の関心・視座から、この弁論について以下の分析・検討を行う。まず、宗教的トピック―とりわけ被相続人との祭祀共有―の不在の理由を弁者の経歴から確認し、次に弁者が主張する被相続人との「親密さ」philiaについては、実態の伴わない「虚像」のレトリックであることを示す。そして、係争相手が被相続人と敵対していた証として言及される祭祀の共有拒絶のトピックは、ディアディカシアで係争する母方繋がりの相続申請者にとって、本来、自らが提示すべき祭祀活動共有の代償的で鏡像的な役割を果たすもので、1番の「親密さ」のレトリックは、弁者の特殊状況を反映する孤立した弁論戦術ではなく、8番や9番の弁論戦略と表裏一体の関係を為すものであることを明らかにする。



                 (所属などは発表時のものです。)



Copyright © 2004 The Society for the Study of Ancient History. All rights reserved